庄内町議会 2022-12-07 12月07日-02号
平成元年に厚生労働省と日本歯科医師会が提唱した8020運動は、80歳になっても20本以上の自分の歯を保とうという運動です。生涯にわたり自分の歯を20本以上保つことにより、健全な咀嚼機能を維持し、健やかで楽しい生活を過ごそうという意味です。8020運動を達成することは、本人の健康だけではなく、医療費や介護費用の削減にも貢献する大切な事業だと思われます。
平成元年に厚生労働省と日本歯科医師会が提唱した8020運動は、80歳になっても20本以上の自分の歯を保とうという運動です。生涯にわたり自分の歯を20本以上保つことにより、健全な咀嚼機能を維持し、健やかで楽しい生活を過ごそうという意味です。8020運動を達成することは、本人の健康だけではなく、医療費や介護費用の削減にも貢献する大切な事業だと思われます。
そのときは平成元年で余目町から、部落区域に関し無調整区域の解消を図り第一公民館の建設に伴う公民館体制の確立のため、学区単位の生活圏を目指し、地域住民の生涯学習等を進めるために加茂線西側住民に新しく町内会の設立を要請されたとあります。様々第一公民館のことなどいろいろあるわけで、今回のこととは違うわけですが、町が主導でこのような形はどうですかと要請したということが分かります。
ただ、今、22名と概観が来ているだけで、ここの中身がはっきりしておりませんので、今のここの御答弁の場では平成元年の数字でお話しいたしますと、平成27年度が8人でございまして、その後、増え続けております。そして令和元年で32名、令和2年で22名でございます。 そうしますと、右肩上がりで増えておるんですけれども、これは米価が上がってきていて、当時平成26年の頃はここの地域1万円割っていました。
31年前の平成元年は、中国のGDPは日本の9分の1でした。今は日本の3倍です。日本の支配層は、戦前、侵略戦争の過ちに目を閉ざし、日本を破滅の敗戦に追い込みました。今、消費税増税の過ちに目を閉ざし、デフレ脱却のアベノミクスに失敗し、GDPの2倍を超える借金を積み増しし、日本経済を破綻に追い込み、この誤りを正すために本請願に賛成討論といたします。 ○議長(本間新兵衛議員) 次に、反対の討論を許します。
松ヶ岡開墾場は平成元年に国指定の史跡に、平成29年に日本遺産に認定されています。100年記念とは大きくさま変わりしており、知名度も格段に向上しました。それにふさわしい記念事業が期待されます。市の支援や対応についてお聞きします。 もう一点、地域の子供たちと鹿児島との交流について伺います。 松ヶ岡地域の家庭には、西郷隆盛の肖像画が掲げられています。そこの家の子供は、この人、誰と聞くそうであります。
初めに、子どもの権利条約についてでございますが、平成元年に国連総会において採択され、翌2年に発行された条約で、生きる、育つ、守られる、参加するの4つの基本的権利が18歳未満の全ての子供に保障されるべきと国際的に定められたものでございます。 日本では平成6年に批准し、これ以降、児童虐待防止法の制定や児童福祉法の改正など、子供の権利に関する様々な対応がなされてまいりました。
全国で考えますと、まず一番最初に考えなければならないのは、全国では農業人口というか、主に農業に関わっている方はどのぐらいいるのかという部分で、私もこの数字知ってはいたんですが、やはりこの30年で約半分、平成元年の年は320万人が農業をしていましたが、今、平成30年になって145万人、おおよそ半分以下の農業人口という部分で、劇的に30年で半分減ったという産業となっております。
こうした中、山形県の運転免許証保有者数は、平成元年は63万5,844人、平成30年には76万3,136人、120%の増であります。また、このうち65歳以上は、平成元年のときには3万7,047人でありましたが、平成30年には21万4,177人と、578%も増加している状況であります。本市の平成30年12月末の運転免許証保有者数は、4万4,194名であります。
松ヶ岡開墾場は、平成元年に国指定の史跡となり、以降行政と松ヶ岡地区が協力し、保存管理を行ってきました。松ヶ岡は羽黒地域を代表する質の高い重要な歴史的遺産の一つでございまして、羽黒庁舎では平成25年度に地区の皆様が主体となりまとめていただきました松ヶ岡地域振興ビジョンに基づき、四季のイベントや体験事業などへ協働して取り組んでいるところでございます。
本市における人口の推移を振り返ってみますと、平成元年の旧酒田市の人口は10万994人でした。平成17年に旧3町が合併して人口は11万8,214人となり、そこから13年が経過した平成30年10月31日現在の人口は10万2,993人でありました。近年では年間1,000人を超えるペースで人口が減少しているという現状にあります。 昨年、平成29年の出生数は615人と、町の中から子供の姿が消え始めています。
消費税は平成元年の導入以来、税率の引き上げはあるものの、単一の税率で課税をされてまいりました。今回初めて軽減税率制度が導入をされまして、標準税率、これが10%でございますが、この標準税率と軽減税率、これは8%。この10%と8%の複数の税率になるものでございます。
次に、天童市スポーツセンター小アリーナのLED化についてですが、天童市スポーツセンターの総合体育館は平成元年12月17日に完成、平成6年には野球場、そのほかには弓道場や屋内コート、サンビレッジなど完成して、各種スポーツで利用できるようになり、現在はインターネット抽選で申し込まなければならないほど各種団体の利用者が多くなってきています。
第1ロマンスリフトが平成5年建設で890メートル、このたび廃止しました第2ロマンスリフトが昭和60年建設で400メートル、第3ロマンスリフトが平成元年の建設で778メートルとなっております。このうち廃止を決定した第2ロマンスリフトが33年を経過しております。
ほかの学校施設は袖崎小学校が昭和46年、西郷小学校が昭和61年、冨本小学校が平成元年、富並小学校が平成2年と、戸沢小学校は平成3年に建築されております。いずれもだんだんと老朽化をしてきており、築30年を迎える学校では大規模改修が必要となってくる時期に差しかかっております。
また、平成元年には、日本非核宣言自治体協議会に、平成21年には平和首長会議に加盟し、加盟自治体と連携した取り組みを行っております。お尋ねの核兵器禁止条約については、日本政府は核保有国と非核保有国の双方が参加しなければ現実的、実践的でないと。むしろ日本は双方の橋渡し役をするべきだという意味で参加しなかったものと理解しております。
旧鶴岡市では、西郷南洲翁の縁によりまして昭和44年に鹿児島市と兄弟都市の盟約を、また第2次世界大戦時に鶴岡に集団疎開された児童との交流をもとに、昭和56年に江戸川区と友好都市の盟約を、さらに旧庄内藩士が開拓のために北海道木古内町へ移住した縁と、それから統合して木古内小学校となりました旧鶴岡小学校と朝暘第一小学校、この姉妹校としての交流、これをもとにいたしまして、平成元年に木古内町と姉妹都市の盟約を締結
毛呂光一氏は、平成元年4月から日本歯科大学新潟歯学部附属病院に勤務された後、平成6年1月に毛呂歯科医院の副院長となられ、平成29年4月からは院長を務められておられます。また、一般社団法人鶴岡地区歯科医師会においては、専務理事、副会長を経て、平成29年5月からは会長を務めておられるほか、一般社団法人山形県歯科医師会代議員でもいらっしゃいます。
現在につながる山形という街の礎を築いたのは紛れもなく最上義光公であり、その遺徳を顕彰し、市制施行100周年を記念して平成元年に歴史資料館が建てられたのであります。山形市には名乗りのあるもの、秀でたもの、きらりと光るものがたくさんあるが、埋没されていて生かされているとは言いがたいとも思います。
平成元年3月1日供用開始になってから30年、トイレ事情も変わってきています。 昨年、環境建設委員会で視察に訪れた岐阜県飛騨高山は、飛騨匠の技・こころで日本遺産認定を、高山祭の屋台行事でユネスコ無形文化遺産登録された美しい街です。 インバウンド、特に欧米人の観光客が多く、街はいろいろな言語が飛び交い国際色豊かです。 散策マップを手に街をぶらり歩いてみると、トイレが多いことに驚かされます。
また、御質問にありました春日神社所有の甲冑の調査指定につきましては、この甲冑は平成元年に当時の櫛引町で町指定文化財に指定いたしまして、現在は鶴岡市指定文化財となっております。こちらの県指定につきましては、まずは専門家による文化財価値についての調査を行うことが必要となります。