荒尾市議会 2021-12-09 2021-12-09 令和3年第5回定例会(3日目) 本文
それで、とにかく最盛期は、荒尾市で終戦前の1944年12月には380トンも火薬を製造して、そして今の荒尾高校あたりから鉄道を敷いて、今の荒尾駅は当時は万田駅と言っておったそうですけれども、そして小倉市まで運んだと。その生産量は、今は宇部市にコンビナートがありますけれども、九州・中国地方で一番大きかった宇部市の火薬生産量を上回るような規模まで達したというふうに書いてありました。
それで、とにかく最盛期は、荒尾市で終戦前の1944年12月には380トンも火薬を製造して、そして今の荒尾高校あたりから鉄道を敷いて、今の荒尾駅は当時は万田駅と言っておったそうですけれども、そして小倉市まで運んだと。その生産量は、今は宇部市にコンビナートがありますけれども、九州・中国地方で一番大きかった宇部市の火薬生産量を上回るような規模まで達したというふうに書いてありました。
菅総理は終戦記念日の15日、アメリカのニューズウィーク紙とのインタビューで、台湾有事が起きた場合、台湾から近い沖縄について、当然沖縄を守らなければならないと強く発言されました。その上で、日米同盟に基づいて、在日米軍基地がある沖縄の防衛は日本政府にとって非常に重要な目標だと述べ、CCPを牽制されました。 また、我が国の防衛費について、今後GDPの1%枠とする考えにはこだわらないと示されました。
また、昨年8月15日の終戦記念日においては、コロナ禍ということもあり、長崎、広島の戦没者慰霊式も規模をかなり縮小した形で開催するなど、戦争の悲惨さ、悲しさ、平和の尊さを次世代に語り継ぐ大切な時間が予想外の出来事で激減する事態となり、語り継ぐ大切さ、また、その難しさも考えさせられる1年でした。
また、昨年8月15日の終戦記念日においては、コロナ禍ということもあり、長崎、広島の戦没者慰霊式も規模をかなり縮小した形で開催するなど、戦争の悲惨さ、悲しさ、平和の尊さを次世代に語り継ぐ大切な時間が予想外の出来事で激減する事態となり、語り継ぐ大切さ、また、その難しさも考えさせられる1年でした。
今回の中央区に関わる都市計画道路の見直し、つまり先ほどの廃止路線3本のうち2本は昭和21年、終戦直後に決定されたものでした。もう70年以上たっています。まちづくりは、ある程度の時間軸が見えないとその姿も見えてきません。せめて5年後はこうなるんですよという、そういう青写真を示していただきますよう、局長にはよろしくお願い申し上げます。 それでは、続いて本市の財政についてお尋ねいたします。
今回の中央区に関わる都市計画道路の見直し、つまり先ほどの廃止路線3本のうち2本は昭和21年、終戦直後に決定されたものでした。もう70年以上たっています。まちづくりは、ある程度の時間軸が見えないとその姿も見えてきません。せめて5年後はこうなるんですよという、そういう青写真を示していただきますよう、局長にはよろしくお願い申し上げます。 それでは、続いて本市の財政についてお尋ねいたします。
1945年8月,人類史上初の原子爆弾が広島・長崎に投下され,8月15日に終戦を迎えました。そのため,8月は戦争について深く考えさせられる時期です。世界の平和は誰しもが望むことです。その一方で,この世から争いの種が絶えないこともまた事実。心でいくら望んでも,望むだけでは平和の願いを叶えることはできません。宇土市では,昭和60年3月に,宇土市と宇土市議会の連名により,平和都市宣言を行いました。
日本の教育界の歴史をひもとけば、第2次世界大戦末期に、戦時教育令により、昭和20年4月1日より8月15日終戦まで休校となった事実はあるそうですが、病によりこれだけの長期間の休校はないとのことです。 どうしても、病気というものは寒い時期に流行りがちであります。ゆえに、その時期に休校すれば、受験や卒業式、入学式等にも影響が出るのも事実であります。
私自身は、毎年8月6日の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式、9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典及び15日の終戦記念日に行われます熊本県戦没者追悼式に参列するとともに、平和都市宣言を行った自治体の長として、核兵器廃絶に大いに賛同することから、平成27年に核兵器全面禁止アピールに署名し、戦争の悲惨な記憶を風化させることなく語り継ぎ、平和な社会の実現への決意を新たにしているところでございます。
私自身は、毎年8月6日の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式、9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典及び15日の終戦記念日に行われます熊本県戦没者追悼式に参列するとともに、平和都市宣言を行った自治体の長として、核兵器廃絶に大いに賛同することから、平成27年に核兵器全面禁止アピールに署名し、戦争の悲惨な記憶を風化させることなく語り継ぎ、平和な社会の実現への決意を新たにしているところでございます。
またこの8月は、終戦記念日の月でもありました。大戦後72年を迎える悲惨な戦争の経験を後世に伝え、再び戦争の起きない世界を求める月でもあります。私は戦中の昭和18年生まれですから、直接の戦争の記憶はありませんが、戦後の食糧や物資不足のときの供給制度や豊肥線で復員兵で混雑する汽車に乗り合わせたこと、朝鮮戦争の影響か空を飛ぶ双胴の飛行機グラマンを不安な気持ちで眺めたことを記憶しています。
◎宮崎由之 住宅課長 当該物件につきましては、昭和20年が終戦でございますが、昭和22年に引揚者の住宅ということで当該地に住宅を建設したものでございます。 その10年後の昭和32年に住宅団地として建てた建物だけを当該入居者の方々に譲り渡しをしているということでございますが、土地につきましては熊本市のまま、約60年間、私どもが貸付料として貸し付けをしておるという状況でございます。
◎宮崎由之 住宅課長 当該物件につきましては、昭和20年が終戦でございますが、昭和22年に引揚者の住宅ということで当該地に住宅を建設したものでございます。 その10年後の昭和32年に住宅団地として建てた建物だけを当該入居者の方々に譲り渡しをしているということでございますが、土地につきましては熊本市のまま、約60年間、私どもが貸付料として貸し付けをしておるという状況でございます。
当時の日本は、終戦の年、つまり2年前の昭和20年9月2日に降伏文書に調印して以来、陸軍も海軍も全ての軍隊が解体され消滅し、約40万人の進駐軍とGHQによって占領統治されておりました。まさに、この教科書の内容そのものであったわけです。 これが憲法9条を解説したものだとすれば、この文書の中に、先ほど教育長から説明がありました自衛隊の存在を読み込むことは難しいように思います。
当時の日本は、終戦の年、つまり2年前の昭和20年9月2日に降伏文書に調印して以来、陸軍も海軍も全ての軍隊が解体され消滅し、約40万人の進駐軍とGHQによって占領統治されておりました。まさに、この教科書の内容そのものであったわけです。 これが憲法9条を解説したものだとすれば、この文書の中に、先ほど教育長から説明がありました自衛隊の存在を読み込むことは難しいように思います。
終戦後の昭和22年から24年に生まれました、いわゆる団塊の世代が2025年には75歳に達し、人口の20%弱に当たる約2,200万人が後期高齢者となり、超高齢化社会が到来することとなります。医療、介護、年金等の社会保障の2025年問題と共に、高齢ドライバーの交通事故による死亡事故が多発し、特に小中学生の通学帯に飛び込み、幼い子どもたちが被害を受けるなど、近年大きな社会問題となっております。
体制の違いはあっても、終戦前は現在の北朝鮮に、チッソのあった興南に私の一族も住んでおりました。そう思うと、近しい人々ではないかなとも思えるのです。私たちも、政治の場で未来志向のすばらしい友情をつくっていきたい、そう願いながら質問に入ります。 2月22日より水俣市は髙岡利治市長により、市政のかじ取りが始まっています。
そして、2次産業では、終戦直後に引揚者をできるだけ採用したチッソは5,200人の従業員を抱えていましたが、水俣病を発生させ、補償問題を抱える中で昭和42年に合理化計画を発表し、配置転換などを行って、昭和43年には従業員数を2,586人に減らしています。そのころに危機感を持った議会は、企業誘致策を活発に議論しておりまして、多くの企業を新たに誘致して、操業が始まっています。
戦前,終戦直後の家庭の燃料は山の木々を使った熱源でした。それから,戦後経済の成長から石炭,石油,ガスへと家庭の熱源は変わってきました。また,経済成長期には,関税の保護もあり,山林は成長する住宅産業と直結してスギ,ヒノキは財産として価値を持っておりましたが,グローバル経済の発展から関税が限りなくゼロに近づき,日本の人件費の高騰から林業は衰退していきました。
また7月に,熊本市で開催された熊本空襲を検証するセミナーで,終戦直前の熊本市街地の空襲にはのちにベトナム戦争で使われる破壊力の大きいナパーム弾が使用され,被害が拡大したことを知りました。それと10年前元宇土市議の吉本國雄さんから,中国大陸の最前線での大砲部隊と戦えと悲惨な状況を網津の地域学教室で講話をしていただきました。