八戸市議会 2023-03-20 令和 5年 3月 定例会-03月20日-06号
さらには、JR八戸駅の新幹線ホームに八戸小唄の発車メロディが導入されるなど、東北新幹線八戸駅は新たな歴史の一歩を踏み出したと感じております。 今後は、新幹線を生かしたまちづくりがさらに進化、発展をし、社会経済活動の再開に向けた機運が醸成され、観光振興及び交流人口の拡大による地域経済の活性化が図られることに期待を寄せております。
さらには、JR八戸駅の新幹線ホームに八戸小唄の発車メロディが導入されるなど、東北新幹線八戸駅は新たな歴史の一歩を踏み出したと感じております。 今後は、新幹線を生かしたまちづくりがさらに進化、発展をし、社会経済活動の再開に向けた機運が醸成され、観光振興及び交流人口の拡大による地域経済の活性化が図られることに期待を寄せております。
八戸市体育館は、昭和38年度の開館以来、当市のスポーツ活動の拠点としてだけではなく、レクリエーションやイベント等多くの市民の皆様の活動の場として利用されており、建て替えに当たっては、その歴史を引き継ぐとともに、未来の利用を見据えた施設となるよう取り組んでまいります。 私からは以上でございます。 〔市長熊谷雄一君降壇〕 ○副議長(松橋知 君)石田副市長。
歩いて旅を楽しむ旅行者にとって魅力的な取組であり、多くのハイカーが壮大な太平洋の風景、地域の歴史、食文化や住民との触れ合いを楽しんでいます。
当市での冬季国体の開催回数は、今回の開催により全国最多の通算14回を数えることとなりましたが、国民体育大会が来年から国民スポーツ大会へと名称を変えて開催されていくことが決定している中、昭和22年の第1回冬季国体の開催地となった当市が、冬季国体としては最後の開催地となりましたことに歴史の不思議な巡り合わせを感じると同時に、氷の都――氷都を標榜し、スケートとアイスホッケーの普及と競技力向上に取り組んでいる
具体的には、1つ目として、人々の暮らし、活動や交流が中心にある人が主役のまちづくりを、2つ目として、歴史や中心市街地の強みや個性といった八戸らしい地域性を活かしたまちづくりを、3つ目として、産業が息づき社会的役割を担い発展し続ける活力ある経済と社会づくりを、4つ目として、多様な主体が知恵を出し合い役割を担う参加と連携をベースとした横断的マネジメントが機能するまちづくりの4つの観点を柱として打ち出しました
(3)の実証実験結果の評価ですが、この事業は、はちのへ文化のまちづくりプランに掲載しております、歴史的建造物で通常行わないイベント等に使用するユニークベニューの取組事例として実施したものであります。
講演会は、1回目は当市水産業の歴史について、2回目はつくり育てる漁業について、3回目は捕る漁業をテーマとし、水産関係者以外の皆様からも多くの参加をいただいており、また、今年度中に流通加工をテーマとして4回目の講演会を開催する予定としております。 その一方で、水産関係者の皆様にとっては、水産資源の減少等による水揚げの激減が喫緊の課題であり、具体的な解決策が求められていると認識しております。
こうして考えるとき、新田城を中心とする同地区の歴史は、八戸の歴史を語る上で重要な柱の一つであり、特に中世以降の歴史は、とても劇的なものであります。 そこで同地区のいずれかの場所に、このような歴史を伝承するための何らかのコーナーを設置できないものかと考えるものであります。この点につきまして教育長の御所見を伺い、この場からの質問を終わります。
現在は、長く続くコロナ禍の中、歴史的な円安、物価の高騰、北朝鮮問題、食料の安全保障、ウクライナ危機、気候変動の影響による災害の頻発、激甚化等、挙げると枚挙にいとまのないほど影を落とすような話題ばかりであります。そのような中、侍ジャパンのワールドカップでの活躍は、国民に大いに勇気と希望を与えてくれました。
去る12月1日、JR八戸駅の新幹線ホームに八戸小唄の発車メロディーが響き渡り、東北新幹線八戸駅は新たな歴史の一歩を踏み出しました。
その頃、十和田市の古い歴史がある場所、建物などをバスに乗って巡っていきました。また、その日のことを昨日のように思い出しました。その方は、学校のPTAの活動として、そのようなことがなくなってしまい、今の子供たちは自分たちのふるさとに何があるのか分からないまま学校を卒業して、十和田市を離れてしまうのがとても悲しいと話していました。 では、質問に入らせていただきます。
洞内小学校、松陽小学校は、地域に根差し愛されながら、輝かしい歴史と伝統を築き上げ、地域の教育の拠点として、優れた卒業生を数多く輩出してこられました。これもひとえに、歴代の校長先生をはじめ教職員の方々の深い教育理念とたゆまぬご努力と、保護者の皆様や地域の皆様の深いご理解とご尽力のたまものであり、心から深く敬意を表するとともに、感謝を申し上げる次第でございます。
また、今年3月に策定いたしましたはちのへ文化のまちづくりプランに掲載した歴史的建造物などをイベント等に使用する、いわゆるユニークベニューの取組事例として、さらには次期計画であります第4期八戸市中心市街地活性化基本計画に、歴史的建造物と広場を活用したにぎわい拠点として位置づけ、施設の活用を図ることを目指す事業にしていきたいと考えております。
そして、平成16年にコスモスゾーン、平成19年に通信・放送技術の歴史と発達、ほかの展示物は昭和55年のままだというところで、今は令和なんですけれども、昨年度何か展示物が更新されたものがあればお知らせください。 ◎河村 総合教育センター所長 田名部委員にお答え申し上げます。 今委員が御指摘しましたとおりに、この児童科学館は、昭和55年9月に設置されて、今年で43年目を迎えております。
関東圏の方のレビューだと言葉が分からないということで、私が聞いていると随分きれいな南部弁だ、これのどこが分からないのかと思うんですけれども、それとあと、2時間27分と長過ぎるといういろんな意見があるんですけれども、地元岩手県の方は、岩手県人として岩手の歴史が知れてよかった、コロナ前は当たり前に乗っていた東北新幹線だけれども、開業後に新花巻駅が市民の力で開設されたと知って感動した、このようなお話がありました
長い歴史の中で妊産婦や乳幼児を持つ保護者、また、保健医療関係者など多くの国民に親しまれてきました。 昭和40年には母子保健法の制定に伴い、母子健康手帳へと進化し、その後もおおむね10年ごとに、時代のニーズに合わせて様式の改正等が行われてきたところであります。
ここ数年間に極端な水害が増えたという印象を強く感じるところでありますが、日本では稲作が始まった弥生時代の頃から、人々は常に水と戦ってきた歴史があるようであります。古事記に登場するスサノオノミコトが倒したヤマタノオロチも、川の氾濫と治水を表していたのではないかと言われているほどであります。
日本の歴史によりますと、人口は奈良時代約550万人、平安時代約644万人、今ドラマで放映している「鎌倉殿の13人」の頃は約754万人、室町時代は約818万人、1868年の明治維新では3,330万人と言われています。
さて、以前、官庁街に軍馬補充部の歴史を市民や観光客に周知するため、案内板の設置の質問をいたしました。十和田市の歴史をひもとき、郷土を知ることは大事で、それを土台に地域の歩みを未来に伝えていかなくてはならないと思います。 6月の議会で、小笠原議員が市史の編さんの質問をしておられました。
一つ、称徳館を歴史館として利用する考えについて説明してください。 一つ、歴史館構想の今後の段取りについて、市長の考えをお聞かせください。 通告の2点目は、芳川原浄水場の維持管理業務の委託についてです。 芳川原浄水場は、中掫の東、下川原にあり、今の施設は2008年に完成をいたしました。奥入瀬川の伏流水を水源としており、十和田市街のほぼ全域に給水する浄水場です。